冬日
佐助は屋敷を後にした。
空はいまだ暗いが、東の山々の際が微かに、白みがかってみえる。
夜明けが近いのだった。
冬の森の、丸裸の木々の輪郭が黒く浮かび上がる。
すでに月は沈んだ。
幾重にも重なり合うの枝に遮られ、わずかな空の明るささえ届かない中、佐助は跳ぶ。
気配を完全に殺し、降り積もった雪、それを踏む音すら全くさせない。その顔はただ淡々と無表情だった。
佐助の人ならざる鋭い嗅覚は、侵入者の気配を捉えていた。
人間の匂い、複数。
(いい加減ほっといてくれないかなあ。うんざりだよ)
更に加速する。
耳元を風鳴りの音が掠める。
人間との接触が近い。
その切れ長い瞳に感情はこもらない。
無機質な無表情。
(…俺はあんたらが大嫌いだよ)
強く雪面を蹴った。
高い高い跳躍、弧を描くく軌道の頂点で佐助はひらりと宙返りした。
黒い翼が空を打った。
本性を現した黒い巨鳥は枝の隙間を素早くすり抜け、上空に飛び出した。
長い尾羽が鋭くなびく。
翼を畳み、頭を下にして木々の間に突っ込んだ。
派手に音をたてて枝の層を突き破ったとき、その鋼の色した猛禽の爪は、雪面にわだかまる人間の群れ目掛け振り下ろされた。
ようやっと登ったばかりの太陽は、今まさに落ちんばかりの熟れすぎた果実のような色合いでもって網膜を焼いた。
強すぎる陽光に顔をしかめつつ、再び人の姿に変化した佐助は、庭を横切り玄関からではなく縁側から屋敷に戻った。
まっすぐ寝所へ向かおうとした佐助だったが、ふいに足を止める。
なにやら怪しげな音がする。
気配を絶ち、居間の障子戸をすこし開けて覗いてみれば、曲者でも何でもなく、幸村が何か引きずっているところだった。
夜着ではなく、きちんと着流しに着替え、その上に羽織を重ねている。
「おお、戻ったか佐助」
「ただいま。何?ちゃんと着替えちゃって」
幸村がずりずり引きずっているのは重い火鉢だった。
中にたっぷりしかれた灰の上に、大きめの木炭が五つ六つ乗っている。
火鉢を広い居間の中央に運ぶのに、佐助も手を貸してやった。
「何にせよ寒いのでな」
「ありがとう、旦那」
身の内に焔を宿す幸村が寒さを感じる事はまずない。
自分を気遣っての妖虎の行動に、佐助は笑んで礼を言った。
「こんな朝早く起きるなんて珍しいね。いつもならまだまだ寝てる時間なのに」
幸村はうむ、と頷いて、
「血の匂いがしたからな」
「そっか。旦那は敏感だなあ」
幸村は何事もないように言った。
佐助も、何事もないように返したが、笑顔が消えた。
「今日は十人くらいだった。全く舐められたもんだね。呆気なかったよ」
佐助は淡々と言った。
甲斐山中に強大な妖力を備える妖怪が棲んでいる。
それは、巫女や僧侶や呪術師の類の者達の間では知らぬ者のない旧知の事だった。
それ故、二人の屋敷には時折来客がある。
幸村や佐助ほどの妖怪を力でねじ伏せて使役すれば、どれほど強力な術が使えるだろう。
また、妖力の高い妖怪の血肉、皮、骨などは特別な道具の材料や薬としてうず高く金が積まれ、闇で取引される。
今朝の客もそういった事を狙った輩だった。
二人は畳に座布団を敷き、火鉢を挟んで向かい合って腰を降ろした。
幸村が火鉢の炭に手をかざす。
ぼっ、と軽く音がして発火した。
炭が熱を孕み、中心からじわりじわりと眩しい朱色に変わるのを、佐助はじっと眺めている。
表情は無い。
いつもは、へらりと目尻を下げて笑んでいるというのに。
幸村はそんな佐助をしばらく見やったが、ふい、と視線を火鉢に移して、火箸で炭をつつき始めた。
炭のはぜる乾いた音がする。
ややあって、佐助が口を開いた。
「人間ってさ、どうしてあんなに強欲なのかな」
「高慢で考え無しで乱暴で無責任で、欲張りで我が儘で自己中心的でさ」
「せっかく奴等を避けてこんな山奥に隠れ住んでるってのに。いじくりまわさないで欲しいよ」
「人間なんて大嫌いだ」
「…佐助」
佐助は顔を上げた。
今まで黙っていた幸村が、自分の事を呼んだからだ。
二人の視線が正面からかち合った。
幸村は笑っている。
「お前は優しいな」
「なっ…」
佐助は目を丸くした。
「お前は人間は嫌いだと言う。だが憎いとは決して言わぬ。それが証拠だ」
「…でも俺は、旦那や俺の命が危なくなったら、人間でも妖怪でも殺すよ。躊躇いなんかない。その位、割り切ってる」
「やはり、お前は優しい」
訳が分からない、という顔の佐助を見やって、幸村は、
「つまり、佐助。先程の曲者、殺してなどおらぬだろう?」
佐助は硬直した。
全くの図星だったのだ。
軽傷を負わせ、威嚇して追い返しただけだった。
「真に危険な者であれば、お前はその者を殺すであろう。だが放っておいて問題なき者ならば殺さず追い払うのみ。そういう事だ。お前は優しいのだよ、佐助」
ぐっ、と言葉に詰まった佐助の頬にさっと赤味が差し、そして一気に唇が堰を切った。
あれやこれやと反論するその様子の落ち着きのなさは、真実をずばり言い当てられたからであった。
慌てるのは、心のどこかでそれを認めている証拠。
ふふ、と笑んだ幸村は、優しくなんかない、との繰り言を軽く聞き流し、佐助を言い負かした事に満足して、再び火箸で炭をつつき始めた。
置手紙
秋に冬の話ですみません;
実はこれ、かなり前に書いた物に若干修正を加えたブツなのです。
自分の中では気に入っている部類に入りますが、皆様のお口に合いますかどうか…
そして、続き物です。この設定を引きずって続きます。
続きを書くのが久しぶりなので、がらりと雰囲気が変わってしまうかもしれませんが、ご了承ください;